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カテゴリ:出遇った言葉

  • 悲しみの意味
    [ 2006-11-07 10:54 ]
  • おもたい かなしみ
    [ 2006-11-05 10:18 ]
  • かなしみはいつも
    [ 2006-11-02 11:31 ]
  • 祝婚歌
    [ 2006-09-14 11:23 ]
  • 悪い人間が雨を見る
    [ 2006-09-11 12:00 ]
  • 生きていてほしい いいことが何もなくても
    [ 2005-11-21 15:27 ]
  • じぶんにしかできないこと
    [ 2005-09-23 10:38 ]

 

悲しみの意味

悲しみの意味(星野富広)

冬があり夏があり
昼と夜があり
晴れた日と
雨の日があって
ひとつの花が咲くように
悲しみも
苦しみもあって
私が私になってゆく


by kotori-7864 | 2006-11-07 10:54 | 出遇った言葉 

おもたい かなしみ

おもたい かなしみ(八木重吉)

おもたい かなしみが さえわたるとき
さやかにも かなしみは ちから

みよ、かなしみの つらぬくちから
かなしみは よろこびを
怒り、なげきをも つらぬいて もえさかる

かなしみこそ
すえわたりたる すだまとも 生くるか


by kotori-7864 | 2006-11-05 10:18 | 出遇った言葉 

かなしみはいつも

かなしみはいつも(坂村真民)

かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支えている幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない


今、真民さんの詩を繰り返し読んでいる。
言葉の中に流れる深い悲しみ、でもそのもっと底には、あなたに注がれるあたたかいまなざしがあるのですよ、と教えてくれる。

かなしみに出会った時、人は言葉に依る。

by kotori-7864 | 2006-11-02 11:31 | 出遇った言葉 

祝婚歌

前回のブログから、人と人との関係を考える時間が多い。
それなので、今日は私の好きな詩を取り上げてみたいと思う。

     ***

祝婚歌(しゅくこんか)        吉野 弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい 
完璧なんて不自然なことだと 
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが 
ふざけているほうがいい 
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても 
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで 
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは 
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは 
相手を傷つけやすいものだと 
気付いているほうがいい
立派でありたいとか 
正しくありたいとかいう 
無理な緊張には 
色目を使わず
ゆったり ゆたかに 
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら 
生きていることのなつかしさに 
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして 
なぜ胸が熱くなるのか 
黙っていても 
二人にはわかるのであってほしい

   ***

私は時折、この詩を読むことにしている。
有名な詩だし、暗誦できるくらい読み込んでいるのだが、でも、新しい気持ちで、言葉に、活字に接すると、作者からのメッセージが伝わってきて、凝り固まった心がほぐれる気がする。

若い日、頑張って完璧を目指していた頃には、この言葉は、私には響いてこなかった。
30歳台後半で健康を壊し、それからは周りに支えられてとぼとぼと歩いてきたが、最近とみにこの言葉の持つ重みを感じる。「愚かでいるほうがいい」と最初に示してくれた吉野さんに、「ありがとうございます」と感謝の気持ちでいっぱい。

言葉のちからって凄いですね。


*吉野さんはこの詩に関して、著作権云々を仰らないと聞いていますので、全文載せてみました。

by kotori-7864 | 2006-09-14 11:23 | 出遇った言葉 

悪い人間が雨を見る

朝日新聞のbeに、連載している山崎ナオコーラさんの「指先からソーダ」というエッセイがある。

私は最初この欄を見た時、「コーラ」「ソーダ」に目が行ってしまった。
何これ?まさか飲み物の話題ばかりじゃないよね、と思いつつ、毎週楽しみに読ませてもらっている。山崎ナオコーラさん、れっきとした作家だ(芥川賞候補の作品もある)。

      ***
「悪い人間が雨を見る」(8月26日)の中から抜粋。

(前略)
 「だからねえ、何も悪くない人たちが死んでねえ。なんで死ななきゃならないの?なんにも悪くなんてないのに」
 「ほんとねえ。悪い人が死ねばいいのに」
 私は手すりにつかまりながら、窓をつたうしずくを眺めつつ、前の席に腰掛けている70代の女性2人が事故か何かについて話しているのを、聞くともなしに聞いていて、「人の死は悲しい……それにしても悪い人ってどういう人のことなのだろう……」とぼんやり考えていた。
 そうして「自分は悪い人間だろうか、善い人間だろうか」と自問して、しばらくしてから、「悪い人間だとは言い切れないが、善い人間ではけっしてない」と思った。今までたくさんの人を傷つけてきた。きまぐれですぐ考えが変わるわりに、自己主張が強くて勝手なことを言う。人間関係を築くのが不得手で、上手くいかないことが多く、自分の中に不満をためてしまう。
 今、私の心の中は嫉妬や愛情の行き過ぎによる怒りなどが渦巻いていて台風のように醜い。私はもし理性がなかったら何をするかわからない人間だ。大きな行動に移すか移さないかが分かれ目、ということでいいのだろうか?しかし行動に移さなくても、この醜い感情は、私を決して善人たらしめないぞ。 
(中略)
 たとえば人と人とが話をすると、噛み合っているようで噛み合わず、話題の次元が違ってしまう。そういうときに「意地悪な人ほど相手の話へのチューニングが上手い」と私はなんとなく思っていた。悪感情に自覚を持っていると自分の考えを絶対とは思えないので、相手のことをじっと見つめ、迷いつつ、自らを省みるのかもしれない。
 人間には、悪い心との共存を探る方向があるのだろう。雫と雫が交わりながら流れていき、窓縁に溶ける。

      ***

最初の会話の部分、人が亡くなるとよくこういう言葉を耳にする。
私はその度に「悪人は死んでも良くて、善人は死んだらいけないのか」と心の中で反論してしまう。その言葉の底に「死」というものがいけないもので、嫌うものという意識が流れている。
確かに誰でも「死」というものには悪いイメージを抱いてしまうが、果たしてそうだろうか。
四季の「夢から醒めた夢」の舞台を観た時もそう思った。
「死」はだれにも避けられないもの。私もいずれ死んでいく身。
でも、「死」で何もかも全てが無くなる訳ではないだろう。
私が今思っていること、願っていること、そんなものが誰かに受け継がれて、いのちそのものになって、続いていく。私のいのちは私だけのものではない。

ナオコーラさん自身の「悪い人間」の観察もすごい。
私たちは大抵、「私は良い人間じゃないから」という時には、謙遜の意味も含まれている。でも私自身も謙遜などというものを通り越して、「あなたは善い人間か、悪い人間か」と問われたら、決して「善い人間」とは答えられない。ずるいこともするし、嘘もつく。自分中心そのものだ。

 そんな私がこうして生きていけるのも、みんなに許されて生きているからだと思う。人間だけではなく、私の周囲の自然も何もかもが許してくれているから、私がいる。

ナオコーラさんの文章に触発されて、私自身を振り返るきっかけを貰うことができた。
ナオコーラさん、これにとどまらず、またまた私を揺さぶるような文章を書いて下さいね。

by kotori-7864 | 2006-09-11 12:00 | 出遇った言葉 

生きていてほしい いいことが何もなくても

先日の朝日新聞に寄せた脚本家の岡田惠和(よしかず)さんの言葉。
少し引用してみる。

     *  *  *

「生きていてほしい いいことが何もなくても」
今の世の中で親をやっていると、時々自分の子供達が生きていてくれることが奇跡のように感じることがあります。
そして思うのです。
生きていてほしいと。
何があっても、生きてさえいてくれればいいと。
もちろん、いつの時代も親はそう思うのかもしれません。
でも今、親達は怯えています。あまりにもあっけなく、子供達が命を捨ててしまうから。
その心の闇の存在に怯えているのです。ウチの子に限って……とは思えない。怖いのです。
生きていたいと思えない世の中をつくってきたのは私達。
だから、胸はって「生きるべきだ」「生きてればいいことがある」とどこかで言えない。
だからこそ、怖いのです。
(中略)
あれは22歳頃だったかな。
私も毎日、死ぬ事を考えていたことがありました。
自分のちっぽけさに嫌気がさし、将来に何も期待できず。周囲の人すべてが自分を嫌がっている気がして、生きていても意味がないなぁと思っていました。
死にたいというよりは、生きているのが面倒臭い、そんな気持ち。私がいなくなっても誰も困らないだろうし……。
でも今は生きています。
生きててよかったなと思います。
だから、今、死を想っている、あなたへ……。
生きていればいいことがあるとか、生きるべきだとか、生きたくても生きられない人がいるなんて言いません。その言葉に説得力がないのもわかります。
でも生きてほしい。
何もいいことがなかったとしても、生きていてほしい。
それしか言えないなんて情けない話だけど、でも生きていてほしい。
ただ、そう思います。

(岡田惠和さんは「ちゅらさん」「いま、会いにゆきます」などの脚本家)

     *  *  *

生きるということはつくづく大変なことだと思う。
恵まれている人はそれを失いたくないと恐れ、誰もが老いや病気や死に怯え、人間関係に悩み、これで満足ということのないのが人間だ。一人ひとりが尊いいのちを与えられていることに気付き、四苦八苦しながらも、格好良くなくても生きていける、そんな世の中になってくれればいいのだが、現実の重苦しさはなんだろうか。

子供達よ、恥をかくことを恐れないで。
汗をかくことを恥ずかしがらないで。
あなたの周りの人たちを忘れないで。
そして、
あなたにまで連なる多くのいのちのあったことを思い出して。

by kotori-7864 | 2005-11-21 15:27 | 出遇った言葉 

じぶんにしかできないこと

先日「南御堂」という新聞を読んで出遇った、鷲田清一先生(阪大教授)の言葉。
一節を紹介してみよう。就職活動をしている学生を通して感じた事。

 就職の季節になって「わたしにはいったいどんな仕事が向いているのでしょうか?」「他のひとになくてわたしにしかない才能や素質がわたしにあるのでしょうか?」と訊ねてくる学生に、わたしはいつも言うことにしている。「あなたにしかできない仕事などありません」と。そして、「どの会社に就職しても、だれでもできる仕事しかさせてもらえませんよ」と念を押す。
 意地悪を言っているのではない。会社に入ればみな「だれでもできる仕事」しかさせてもらえない。だれでもできる仕事を丹念に繰り返しているうちに、そのひとしかできないやり方を見つけ、また周囲にも認められるようになる。そうしてはじめて、これは「他のひとにはできない仕事」になる。
 やりがいのある職種を、という気持ちはわかる。人間というのはやっかいなもので、「ただ生きている」ということができない存在だからだ。生きていることに、そしてじぶんがここにいることに、何か意味を求めてしまうのが人間だ。うまく意味が見つかれば「生きがい」を感じ、元気が出てくるが、意味が見つからないと、生きていてもつまらない、生まれてこなかったほうがよかった、いっそのこと消えてしまいたい……などと、だんだん落ち込んでゆく。(中略)
 仕事というものについてもっと別の考え方をする必要があると、わたしはおもう。ひとつは、仕事の意味をじぶんのほうからではなくその仕事がかかわる他人のほうからも考えてみること、もうひとつは仕事をじぶんの可能性のほうからではなくじぶんの限界のほうから考えてみること。

ちょっと長くなったが、とても大事なことを述べておられると思うので、引用した。

若者達よ、こういう言葉に出遇ってくれ!
大人たちよ、感動した言葉を伝えることのできる人間であってくれ!
真実の言葉の厳しくてあたたかなことよ。

by kotori-7864 | 2005-09-23 10:38 | 出遇った言葉